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東京大空襲 映像
Movie, Great Tokyo Air Raid

焼夷弾
 焼夷弾はナパーム弾として知られているゼラチン化されたガソリンで造られていた。焼夷弾が目標に着弾した時に、ナパームはすぐに広がって火災を起こし、消火はほとんど不可能であった。日本の都市は木造建築で造られていたので火事は大火災を引き起こした。1945年3月10日、低高度の夜間飛行で、300機以上ものB29は東京に少なくとも25万個の焼夷弾を投下した。そして、都市のほぼ16平方マイルが焼失し、死者10万人と罹災者100万人に及んだ。

Fire Bombs
Incendiary bombs were composed of gelatinized gasoline, known as napalm. When incendiaries hit the target, the napalm started fires that spread quickly and were almost impossible to extinguish. Japanese cities were mostly made out of wood and paper, so the fires created infernos. On March 10, 1945, flying in darkness at low altitudes, more than 300 B-29s dropped close to a quarter of a million incendiary bombs over Tokyo. Perhaps as many as 100,000 Japanese were dead, almost 16 square miles of the city destroyed, and a million people homeless.

The Firebombing of Tokyo, March 1945
3月10日、午前零時8分、千葉県の東京湾沿岸、小櫃川河口と養老川河口を目印に侵入してきた《先導機》12機のB29が、4カ所の《照準点》の空爆を始めた。
 第1の《照準点》は、台東区西浅草3丁目(現在の地名。以下同)。 第2の《照準点》は、墨田区本所3〜4丁目。 第3の《照準点》は、江東区白河3〜4丁目。 第4の《照準点》は、中央区日本橋小網町。
《先導機》の落とした焼夷弾は、《照準点》にオレンジ色の巨大な炎を上げ、後続機に目印を与えた。
同日、午前零時15分、空襲警報が発令。
高度5,000〜7,000フィート(1,525〜2,135メートル)から低空侵入してくる《先導機》以外の325機の各B29には、500ポンド(227キログラム)E46集束焼夷弾が24発搭載されている。1発のE46集束焼夷弾は、48発のM69(重量6ポンド)焼夷弾からなっていて、投下すると時限装置によって集束が解かれ、広範囲にM69がばらまかれる。1機が搭載する焼夷弾で、横0.5マイル(0.8キロメートル)×縦1.5マイル(2.4キロメートル)が火の海と化した。また、黄燐焼夷弾や油脂焼夷弾、テルミット・マグネシウム焼夷弾は、爆発と同時に黄燐や油脂などが飛び散り、水を掛けただけでは容易には消火できなかった。焼夷弾を東京・下町の密集地帯に投下し、町を囲む円を描くように焼夷弾を投下し、炎の壁を作って逃げられないようにした上で、中にいた人々を焼き尽くした。

米軍の記録によれば、昭和20年3月10日、東京に投下された爆弾は、M47大型焼夷弾 3,683発 126.9トン、E46集束焼夷弾 3,548発 709.6トン、E28集束焼夷弾 4,971発 828.5トン、計1,665トンにも及ぶ。
3月10日の大空襲によって、本所区はその面積の96%が焼失、深川区、城東区、浅草区も壊滅に近い状態となった。

3月10日
東京大空襲により炎上する市街

Tokyo Burns Under B29 Bombs
東京大空襲


焼夷弾攻撃
焼夷弾はナパームとして知られているゼラチン化されたガソリンから作られていた。焼夷弾が目標に着弾した時に、ナパームは、すぐに燃え広がり、消火することは不可能であった。 焼夷弾による最初の攻撃対象は1945年3月9日〜10日の夜に実行された。 高性能爆弾による都市の精密爆撃戦略が失敗した後、カーティス・ルメイ司令官は、精密爆撃に変わるM69焼夷弾の使用を決定した。 3月9日、ルメイはワシントンに知らせず、東京を焼夷弾攻撃するため、334機のB29爆撃機に攻撃命令を下した。 その夕方、B29はグアム、ティニアン、およびサイパンの島々から離陸し東京に向かった。

3月10日午前零時15分、12機のB29先導機は東京上空で、攻撃範囲X(照準点)を指示するナパームペイロードを投下した。攻撃範囲X(照準点)に従って3個編隊のB29爆撃機が東京に1,900トンものM69焼夷弾を投下した。

東京下町の木造建物は、たちまち猛火に包まれ、強風によって火災は下町一帯に広がった。 火災は1,800度に達し、東京の16平方マイルを完全に焼き尽くした。 下町は全焼し、100万の罹災者と10万人以上の焼死体が街に残された。この爆撃で42機のB29が被弾、14機を失った。東京の被害に比べると、この損失は何でもなかった。ルメイの作戦は成功した。



カーティス・ルメイ司令官

Fire Bombs
Incendiary bombs were composed of gelatinized gasoline, known as napalm. When incendiaries hit the target, the napalm started fires that spread quickly and were almost impossible to extinguish. The first major employment of napalm occurred on the night of Mar. 9-10, 1945. After high-explosive bombs failed to demolish Japanese cities, Gen. Curtis LeMay decided to use the new M-69 napalm bombs against them. On Mar. 9, without notifying Washington, LeMay ordered 334 B-29 bombers to attack Tokyo with napalm. That evening, the B-29's took off from the islands of Guam, Tinian, and Saipan and headed north for Tokyo.

At 12:15 A.M. on Mar. 10, 12 B-29's flew over Tokyo and dropped their napalm payloads, which created a flaming X, marking the center of the city. Guided by the X, three formations of bombers flew over and unloaded 1,900 tons of M-69 napalm bombs on Tokyo.

Tokyo's crowded wooden buildings erupted into flames, and strong winds spread the conflagration through central Tokyo out toward the suburbs. The firestorm lasted for days, reaching temperatures of 1,800 deg. F and totally destroying 16 sq. mi. of Tokyo. A quarter of the city was burned to the ground, a million people were left homeless, and more than 100,000 charred corpses littered the ruins. Forty-two bombers were damaged over the target and 14 lost; this loss was nothing compared to what Tokyo suffered. LeMay's gamble was successful.



PLAY VIDEO

東京大空襲

3月10日

東京大空襲は、初めから一般市民を主目標とした大量虐殺作戦だった。明らかな国際法違反である。軍事関連施設に目標を絞った爆撃で戦果を上げることができなかった米軍は、焼夷弾を使って市街地を焼き払い日本国民の戦意をそぐ作戦に転じていた。

昭和20年3月9日22:30警戒警報発令、二機のB29が東京上空に飛来して房総沖に退去したと見せかけ、都民が安心した10日00:08に第一弾が投下された。東部軍管区司令部はまだ気付いておらず、当然ながら空襲警報も鳴らない。

00:15空襲警報発令、それから約二時間半にわたって波状絨毯爆撃が行われた。

各機平均6トン以上の焼夷弾を搭載した344機のB29の大群が、房総半島沖合から単機または数機に分散して低高度で東京の下町に浸入した。都民の虚をついて来襲したB29の大編隊は、低空からアルミの細片をばら撒いて日本軍の電波探知機を無能にし、機体を捉えたサーチライトには機銃掃射を浴びせかけた。

B29の先発部隊が江東区・墨田区・台東区にまたがる40kuの周囲にナパーム製高性能焼夷弾を投下して火の壁を作り、住民を猛火の中に閉じ込めて退路を断った。

その後から約100万発(2,000トン)もの油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン(高温・発火式)焼夷弾が投下され、逃げ惑う市民には超低空のB29から機銃掃射が浴びせられた。

折から風速30mの強風が吹き荒れて火勢を一層激しいものにし、火の玉のような火の粉が舞い踊り、強風に捲かれた炎が川面を舐めるように駆け抜け、直接戦争とは関係の無い一般市民は次第に狭まってくる火の壁の中を逃げまどいながら、性別も判らないような一塊の炭と化すまで焼き尽くされた。

−祖国日本HP:都市空襲から「東京大空襲」の一部を転載ー




東京空襲(焼夷弾攻撃) 1945年
Target
攻撃都市名
Date
日付
Attack Force
B29爆撃機数
Bomber Losses
B29喪失機数
Area destroyed
(square miles)

焼失面積
(平方マイル)
Tokyo
東京
10 March
3月10日
334 14 15.8
13 April
4月13日
327 0 11.4
15 April
4月15日
109 0 6.0
23-24 May
5月23-24日
562 17 5.3
25-26 May
5月25-26日
502 26 16.8


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Last updated : August 22,2007

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