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| 神戸空襲 「火垂るの墓」より |
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1988年度作品『火垂るの墓』
Tombstone for firefl |
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Taking place towards the end of World War II in Japan, Grave of the Fireflies
is the poignant tale of the relationship between two children who lose
their mother in the firebombing of Kobe. |
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| 焼け跡・戦災で灰となった神戸市 神戸市加納町から阪急、三の宮方面を望む。路上には死体。生き残った人も放心状態 |
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| 燃える神戸港と中心街 |
1945/6/5 神戸市阪急、三の宮方面 |
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神戸大空襲
神戸空襲は1945年3月17日、5月11日、6月5日の計3回あったとされ、3月の空襲は市街地の西半分、6月は東半分が壊滅的な打撃を受けた。死者は合わせて7,000人以上、大半の家屋が全半焼した。
3月17日の神戸大空襲では306機の米軍機B29が来襲し。34,000発の焼夷弾を落とし神戸市西部の約65,000棟が全半焼し、2,598人が犠牲になりました。
6月5日の神戸大空襲では朝から米軍の爆撃機474機が来襲し、計3,000トンの焼夷(しようい)弾を投下。神戸市域の死者は3,453人とされ、小説「火垂(ほた)るの墓」の題材にもなった。 |
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| 1945年6月5日 神戸市域での空襲被害 |
| 飛来米軍機 474機 |
罹災者 21,033人 |
| 投下された焼夷弾 3,006トン |
死者 3,453人 |
| 建物全焼全壊 55,368戸 |
負傷者 6,431人 |
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米軍は五日午前、B29爆撃機四百七十四機を投入し、国際法違反の大規模な無差別爆撃を神戸市域に加えた。B29は十−三十機の編隊を組んで南から北へ次々通り抜けた。まず、市東部が狙われ、次第に西へと「じゅうたん攻撃」をおこなった。大型油脂焼夷弾が、雷雨のように音を立てて降りそそぎ、ゼリー状の油脂が高温で燃え上がる。木造の家はたちまち炎上した。投下された焼夷弾は三千トンに達し、三月十日の東京大空襲の約二倍であった。三月十七日の大空襲で無事であった市東部や須磨区で大火が起きた。神戸は市街全域が焼け野原となり、都市機能はまひした。
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| 6月4日 |
23:21 |
米軍第21爆撃集団のB29爆撃機がグアム島から出撃を開始。合計523機がマリアナ諸島をたち、硫黄島経由で神戸に向かう。 |
| 6月5日 |
5:37 |
警戒警報発令 |
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6:00ごろ |
B29爆撃機、紀伊水道南部および高知県南東部に到達。 |
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6:05 |
空襲警報発令 |
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7:00 |
B29爆撃機が、10〜30機の編隊を組んで紀伊水道から阪神方面へ。 |
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7:22-8:47 |
神戸上空に到達した474機が焼夷弾を投下(米軍発表)。被害は西宮から神戸・垂水へと広がった。 |
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7:34 |
神戸港砂浜にあった高射砲(現、神戸港第7,8突堤あたり)などがB29の編隊に応戦。
1機を神戸港に撃墜。 |
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7:40 |
別の1機を六甲山中に撃墜。 |
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8:04 |
さらに1機を再度山中に撃墜。 |
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9:30 |
兵庫県庁屋上から放たれた伝書鳩が大阪府庁に到着。神戸の惨状を伝えた。 |
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10:00 |
中部軍管区司令部が、B29約350機に約2時間半の攻撃を受けたと発表。「逐次鎮火しつつあり、わが軍の戦果10時までに判明せるもの撃墜30機以上、撃破65機以上」 |
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10:30 |
空襲警報解除。市内各所の火事は収まらず。 |
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12:00すぎ |
公舎が焼けた野田文一郎神戸市長が登丁。「一難ごとに勇気百倍し、最後の勝利に驀進せんことを期す」 |
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13:03 |
最初のB29爆撃機がサイパン島に帰還。米軍は損失を11機と報告。 |
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初空襲・神戸へ投下された焼夷弾(1942/4) |
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